1949-05-16 第5回国会 参議院 内閣・人事連合委員会 第3号
もここを立つて行く前に、自分には確信がないけれど、大多國務大臣の方からこう言われるのでしようがないからこうしておるのだというような意味のことを言つておるのでありますが、どうも私はこの辺の割切れないところは……これは本多さんなら割切れるかも分らんが、我々はどうも割切れないものですから、これはこれ以上お話申上げても仕方がないと思いますので打切つて置きますけれども、この氣象の問題の点について是非氣象台長に一つ來
もここを立つて行く前に、自分には確信がないけれど、大多國務大臣の方からこう言われるのでしようがないからこうしておるのだというような意味のことを言つておるのでありますが、どうも私はこの辺の割切れないところは……これは本多さんなら割切れるかも分らんが、我々はどうも割切れないものですから、これはこれ以上お話申上げても仕方がないと思いますので打切つて置きますけれども、この氣象の問題の点について是非氣象台長に一つ來
○木下源吾君 先程私が申上げて置きましたが、念を押して置きますが、氣象台の台長も一つ來て貰うように要求して置きます。成るべく早い機会に……。
お蔭樣で医務室の民主グループはこのように結成されたし、その結成式に一つ來て呉れないか、こういうような話でありましたので、我々民主グループといたしましても非常に喜んで、そうして只今ここに來ております松澤証人が、当時青行隊の隊長でありましたけれども、民主グループの青行隊行も一斉にそこに出て参つて私共民主グループの青行隊の交歓会をその場でやり、その席においては阿部証人は、私は医務室の委員長としてという前置
ところが衆議院の方におきましては、その話が非常に不徹底極まると言いますから、いろいろ誤解を受けて、橋本君が折角かように申したのでありますが、政府を代表してのはつきりした話かどうか分らなくなつたということでして、実は私が出掛ける直前でしたが、是非官房長官一つ來て呉れということでありましたから、それじや行こう、これは明らかに政府からの申入れだからということで実ははつきり言つたような次第であります。
○田村文吉君 只今の御提議は御尤ではありまするが、次回といつても、そういう問題のために逐條の御説明を伺いたいことが延び延びになつて來ますから、一應次回からその意味で一つ御審議を頂くようにいたしまして、その間に総理の御都合の好い時に一つ來て頂いて、羽仁さんの御質問等は行うようにいたしまのんと、いつまでもその問題の核心に触れておりません。そのように次回から一つ專門に御進行願いたいと思います。
殊にこの理想に近いと私が申しますのは、現内閣が最大の使命としておるインフレの克服、このインフレ克服ということに、財政政策も金融政策も租税政策も、すべてがその矛を向けなければならんと、かように考えまするので、そこに重点を置いた財政政策を採る、租税政策を採るということを、一つ來るべき新年度においては、是非とも重点的に考えて頂きたいと思うのであります。
後程尚所見を申上げたいと思いまするけれども、私は、只人政務次官の御説明にもありましたが、折角一つ來年度予算を編成されるときには、一切の財政政策、金融政策、就中租税政策のごとき須くインフレ克服というところにその鉾を向けて努力を結集して頂きたいということをお願いして置きます。
今申し上げましたように資材が相當要りますが、地元の方の御協力もいただけるようなお話でありますので、ぜひとも一つ來年度二十三年度において計畫を實行いたしてみたい、そういうように考えておる次第であります。
だからあのバリテイ計算の取扱つております農家必要物資にいたしましても、六十五品目に亘つてやつておるというお話を承わつておるようなわけでありまして、いずれこの問題については、後程物價廳から見えまして詳細に説明をされると思いますが、農林省といたしましてはさつき大臣も申上げました通り、あくまで國が必要とする主要食糧を確保する見地から、是非一つ來年も又元氣を出して、農業生産に励んで貰わなければならん見地もありまして
だからただ質問することで來て頂くということではなしに、一つ來て頂くことについて、どういうことを話しをするかという題目をはつきりして頂きたいと思います。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
そういうふうな意味合で非常に忙がしいから、一つ來年の一月八日以後にしてもらいたいというふうなことを言つております。その場合にどういう場所を摘發するか、物資はどういうものであるというふうなことを一應聽いたようでありますが、船岡さんの方では、一切それは言うことはできない。これは一應警察を不信用というふうな形で初めから考えておられたようであります。
私どもが訪ねたということに對して、業者の側も、又今の勞務者側も非常に喜んでおりまして、どうかこういう小さい山だけれども、機會があつたら度々一つ來て、いろいろと我々の希望も聞いてやつて欲しいし、又あなた方のいろいろなことも聞かせてやつて欲しいということで、私共の行つたことを非常に喜んでおりました。 最後に申上げたいことは、あの方面には鮫川炭田というのがあります。